10年前の3月11日に地震が起こったとき、魚などから食品を作る宮城県女川町の会社では、中国人の叢偉さんたち技能実習生20人が働いていました。叢さんたちは、会社にいた佐藤充さんが言うとおりにすぐ高い所に避難しました。
そのあと佐藤さんは、まだ避難していない人がいないか確認しに、会社に戻ったようです。そして、佐藤さんは津波で亡くなりました。
叢さんは今、2人の娘と中国の大連に住んでいます。11日、地震が起こった午後2時46分に、叢さんは佐藤さんに感謝しながら祈りました。
叢さんは、地震や津波のことを思い出したくなかったため、自分の経験をあまり話しませんでした。10年が過ぎた今年、初めて娘たちに話しました。娘たちは、ときどき泣いて話を聞いていました。
叢さんは「佐藤さんは今も心の中で生き続けています」と話しています。